震災から、今まで。
長くなるかもしれません。
そしてネガティブな内容になるかもしれません。
でも、私の周りで現実に起こっていることをきちんとお知らせしようかと思います。
今日、朝起きたら、快晴でした。
空は青くて、ぽかぽかと春の陽気。
でも、窓は開けられなかった。
外に洗濯物を干すこともありません。
お布団だって、干せません。
微量であっても、見えないものが降っている。
現実に、数値で出ている。
いくら健康に害がないとはいえ、せめて「家」ぐらいは
子どもたちのために安全な場所にしておいてあげたい。
子どもたちが外で遊びたいと言う。
私は遊ばせています。
でも、時間を決めて。
小児用のマスクと、外用のウィンドブレーカーを着て。
自宅の屋根付きのウッドデッキにさえ、どこか出すのをためらってしまう。
お料理をするとき。
お水を使います。
浄水器から出るいつものアルカリイオン水。
お味噌汁やスープ、ご飯を炊くのにも。
もちろん、安全性は証明されている。
でもどこか安心しきってはいません。
1歳半の娘には影響がないのか?
4歳になったばかりの、幼稚園の娘は?
8歳の、小学3年になる娘には?
換気扇もなるべく控えています。
昨日焼いた、都路の卵で作ったシフォンケーキ。
おいしい、おいしいとおやつに食べてくれる
このかわいい娘たちに、影響はないの?
自分が作ったおやつでさえ、不安は消えません。
新学期がはじまります。
幼稚園、8日から。
小学校、11日から。
普通に幼稚園バスにのせて、登園させてもいいのか。
普通に集団登校で送り出してもいいのか。
複雑です。わかっていても。
だって、福島原発から55kmしかないのです。
屋内避難区域から、たったの25kmのところに我が家はある。
小野や田村、飯館、川俣にいる友人はもっと深刻。
田村市の友人から電話がきて、
「数値は低いけど人っ子ひとり、外に出ていないの。
子どももだけど、大人だって限界だよ。」
そう言っていました。
母親なら、自分はどうなってもいいから子どもだけは守りたいと思うのが普通。
大丈夫なのはわかっているけど、少しでも守りたいと思っている。
チェルノブイリの事故と今回の事故とは違うとわかっています。
研究者の方の文献や、海外のメディアからの情報、テレビ、ラジオ、
ありとあらゆるものを必死になって調べ、ここに住む友人たちと情報共有し、
「いまのところ安全」なのはわかっています。
でも、やっぱり心配。見えないものだから。
頭では理解していても、心が痛みます。
テレビをつける。
普通の番組がやっている。
「お弁当特集」や、「収納特集」。
ニュースをやっている。
津波で大被害を受けた被災地の方へのインタビュー。
自衛隊や米軍の放射線特殊部隊、フランスの企業協力について。
ACの「がんばろう日本」のCM。
そしてテロップで、水や市町村の放射線測定値。
どちらも見ているのがつらくて、時代劇に変えました。
「どうして変えるの?」と言われたから、
「ママ疲れたんだよ。」と素直に伝えました。
下娘が、「ママ、疲れているなら2階でひとりで休んできてもいいよ」と。
嬉しくて、切なくて、でも涙をこらえました。
震災後、テレビや携帯の緊急避難速報と、
「ゆてれる」という単語を覚えた末娘。
それを聞くと「こわいー」と泣きながら走ってきます。
よっぽど怖かったのでしょう。
授乳期はとっくに過ぎたのに、あれ以来夜泣きがおさまらず、
おっぱいを触ると安心して眠りにつきます。
抱っこしすぎた私の手は腱鞘炎になりました。
お隣の茨城県へ一時避難していたときのこと。
上娘が体調を崩し、近所の総合病院へ。
受付で保険証を提示すると、受付の方が奥でひそひそ話。
小児科の医師がいないということだったので
内科医であるそこの院長先生が見てくださいました。
思いっきりいやな顔をされ、一応お薬をもらうことができました。
次にその病院へ行くと、外来受付の前に大きな張り紙が。
「福島から非難された方へ
福島原発より20~30kmの屋内退避区域の方は、除染を行ってから来院してください。
スクリーニング検査も受けてください。」
そこには赤でアンダーラインがひいてありました。
医療機関なのに、悲しくて、悔しくて。
結局その日は看てもらえず、帰ってきました。
震災後、情報を届ける側にいた友人。
女の身で遠く離れた実家に戻りたくても、
会社へ出勤し続けなくてはならなかった。
非常事態、そしてどんどん交錯する情報の渦。
緊急会議の時に彼女はこう言ったそうです。
「将来、他県の人と結婚するときに、
あんたは原発のときに福島にいた人だから、
息子と結婚させられないと言われたら
会社が責任をとってくれるんですか!」
心の叫びだと、そう思います。
私だって、将来娘たちが同じように言われるかもしれない。
私は結婚して子供を産んでしまったからいいけれど、
それではあまりにも娘がかわいそうです。
富岡町の役場に勤めていた友人の彼。
あの津波で、住んでいたアパートと車を流され、
やっとのことで彼女と一緒に川内村まで逃げましたが
原発事故で再度避難生活をしなければならなくなりました。
一昨日の深夜、その友人からの1通のメールが。
「やぁが、災害対策本部に移動になりました。
一緒に南相馬へ行って、彼を支えてきます。
私は大丈夫。中村家も無理せずに。」
福島原発の現地で支えている作業員の方は
ほとんどが双葉や浪江、原町、富岡に住んでいた方なんだと聞かされました。
東電の下請け、孫請けの会社の方だそうです。
自分の家が津波で流されているのに、今は見えない恐怖と戦っている。
自衛隊や消防庁の方。警察の方。そのご家族、ご友人…。
ありきたりの言葉ですが、ただただ、感謝せずにはいられません。
我が家は陸上自衛隊の郡山駐屯地のすぐ近くです。
1日中、自衛隊のヘリコプターが家の上を行ったりきたりしています。
陸上自衛隊に勤務する友人のパパは、
震災後、一度も家族に会わずに被災地で救援活動にあたっていると言っていました。
でも「それがパパの任務だから」と言って、彼女は泣いてはいませんでした。
まだ3歳の娘ちゃんと一緒に、パパの任務が終わるのを待っています。
今日、子どもたちに、
「牛乳を搾ってるおじちゃんや、野菜を作っているおばちゃんたちに
いつもありがとう、ごちそうさまってお手紙書いてくれないかな?」
そう娘たちに言いました。
「なんで?」と上娘と下娘。
「今、原発の事故があって、福島の牛乳やお野菜が売れなくなっているから
ママ、おじちゃんやおばちゃんを元気にしてあげたいの。」
4歳の下娘が、「どうして売れないの?だったらママが買ってあげたらいいじゃん。」
「原発って爆発するからなの?」と言う。
なんて説明したらいいかわからなくって、娘たちに今自分が感じている恐怖と
同じ思いをさせたらいけないと咄嗟に思って、
「国が、売っちゃダメって決めちゃったんだって。牛乳も牛さんから搾ったら
捨てなくちゃいけないんだよ。おじちゃんたち搾っても売れないからお金にできないの。」
それだけ伝えました。
子どもたちは無邪気に、「ぽぽぽぽ~ん♪」と歌っている。
避難所へ行けば、すぐにいろんな子と友達になって、
いろんなものを遊び道具にして遊んでいます。
この子たちに、私はどれだけのパワーをもらったことか。
私は津波で家を流されたわけでもなく、
ライフラインが使えず困っているわけでもありません。
大切な家族を失ったわけでもなく、
避難所でなく、自宅で過ごすことができています。
被災地ではあるけれど、本当に深刻な場所と比べれば
被害は少ない。
風評被害や出荷停止で大打撃を受けている、生産者さんでもありません。
甘いといえば、甘いのかもしれない。
でも、こういう生活をしています。
おそらく、ここにいる友人たちはみんな、
不安を抱えながらも笑おうと必死に日々過ごしている。
他の方が大変ならば、自分たちが支えようと同じ思いを抱えて。
地元ふくしまのために、みんな今できることをやろうとしてる。
今日はエイプリルフール。
誰かのツィートにあったけれど、
敢えて嘘をつかれているのなら、今までのことが全て嘘だったらいいのにとおもう。
でも、やっぱり、前を向かなくちゃ。
「ありがとうふくしまプロジェクト」
子どもたちのおいしいの笑顔と、「いつもおいしいごはんをありがとう」
そんなお手紙・メッセージを募集します。
こどもたちがおひゃくしょうさんに宛てたお手紙、
小さい子供がいるママから「今は不安だけど、出荷されたらきっと買います!」という
メッセージなど、絵でも、手形でも、なんでもOK!
県内の方はもちろん、他県にお住いの方でも「福島に友人や親戚がいる」
「実家が福島」など、応援メッセージも募集いたします。
詳細はこちら→☆
そしてネガティブな内容になるかもしれません。
でも、私の周りで現実に起こっていることをきちんとお知らせしようかと思います。
今日、朝起きたら、快晴でした。
空は青くて、ぽかぽかと春の陽気。
でも、窓は開けられなかった。
外に洗濯物を干すこともありません。
お布団だって、干せません。
微量であっても、見えないものが降っている。
現実に、数値で出ている。
いくら健康に害がないとはいえ、せめて「家」ぐらいは
子どもたちのために安全な場所にしておいてあげたい。
子どもたちが外で遊びたいと言う。
私は遊ばせています。
でも、時間を決めて。
小児用のマスクと、外用のウィンドブレーカーを着て。
自宅の屋根付きのウッドデッキにさえ、どこか出すのをためらってしまう。
お料理をするとき。
お水を使います。
浄水器から出るいつものアルカリイオン水。
お味噌汁やスープ、ご飯を炊くのにも。
もちろん、安全性は証明されている。
でもどこか安心しきってはいません。
1歳半の娘には影響がないのか?
4歳になったばかりの、幼稚園の娘は?
8歳の、小学3年になる娘には?
換気扇もなるべく控えています。
昨日焼いた、都路の卵で作ったシフォンケーキ。
おいしい、おいしいとおやつに食べてくれる
このかわいい娘たちに、影響はないの?
自分が作ったおやつでさえ、不安は消えません。
新学期がはじまります。
幼稚園、8日から。
小学校、11日から。
普通に幼稚園バスにのせて、登園させてもいいのか。
普通に集団登校で送り出してもいいのか。
複雑です。わかっていても。
だって、福島原発から55kmしかないのです。
屋内避難区域から、たったの25kmのところに我が家はある。
小野や田村、飯館、川俣にいる友人はもっと深刻。
田村市の友人から電話がきて、
「数値は低いけど人っ子ひとり、外に出ていないの。
子どももだけど、大人だって限界だよ。」
そう言っていました。
母親なら、自分はどうなってもいいから子どもだけは守りたいと思うのが普通。
大丈夫なのはわかっているけど、少しでも守りたいと思っている。
チェルノブイリの事故と今回の事故とは違うとわかっています。
研究者の方の文献や、海外のメディアからの情報、テレビ、ラジオ、
ありとあらゆるものを必死になって調べ、ここに住む友人たちと情報共有し、
「いまのところ安全」なのはわかっています。
でも、やっぱり心配。見えないものだから。
頭では理解していても、心が痛みます。
テレビをつける。
普通の番組がやっている。
「お弁当特集」や、「収納特集」。
ニュースをやっている。
津波で大被害を受けた被災地の方へのインタビュー。
自衛隊や米軍の放射線特殊部隊、フランスの企業協力について。
ACの「がんばろう日本」のCM。
そしてテロップで、水や市町村の放射線測定値。
どちらも見ているのがつらくて、時代劇に変えました。
「どうして変えるの?」と言われたから、
「ママ疲れたんだよ。」と素直に伝えました。
下娘が、「ママ、疲れているなら2階でひとりで休んできてもいいよ」と。
嬉しくて、切なくて、でも涙をこらえました。
震災後、テレビや携帯の緊急避難速報と、
「ゆてれる」という単語を覚えた末娘。
それを聞くと「こわいー」と泣きながら走ってきます。
よっぽど怖かったのでしょう。
授乳期はとっくに過ぎたのに、あれ以来夜泣きがおさまらず、
おっぱいを触ると安心して眠りにつきます。
抱っこしすぎた私の手は腱鞘炎になりました。
お隣の茨城県へ一時避難していたときのこと。
上娘が体調を崩し、近所の総合病院へ。
受付で保険証を提示すると、受付の方が奥でひそひそ話。
小児科の医師がいないということだったので
内科医であるそこの院長先生が見てくださいました。
思いっきりいやな顔をされ、一応お薬をもらうことができました。
次にその病院へ行くと、外来受付の前に大きな張り紙が。
「福島から非難された方へ
福島原発より20~30kmの屋内退避区域の方は、除染を行ってから来院してください。
スクリーニング検査も受けてください。」
そこには赤でアンダーラインがひいてありました。
医療機関なのに、悲しくて、悔しくて。
結局その日は看てもらえず、帰ってきました。
震災後、情報を届ける側にいた友人。
女の身で遠く離れた実家に戻りたくても、
会社へ出勤し続けなくてはならなかった。
非常事態、そしてどんどん交錯する情報の渦。
緊急会議の時に彼女はこう言ったそうです。
「将来、他県の人と結婚するときに、
あんたは原発のときに福島にいた人だから、
息子と結婚させられないと言われたら
会社が責任をとってくれるんですか!」
心の叫びだと、そう思います。
私だって、将来娘たちが同じように言われるかもしれない。
私は結婚して子供を産んでしまったからいいけれど、
それではあまりにも娘がかわいそうです。
富岡町の役場に勤めていた友人の彼。
あの津波で、住んでいたアパートと車を流され、
やっとのことで彼女と一緒に川内村まで逃げましたが
原発事故で再度避難生活をしなければならなくなりました。
一昨日の深夜、その友人からの1通のメールが。
「やぁが、災害対策本部に移動になりました。
一緒に南相馬へ行って、彼を支えてきます。
私は大丈夫。中村家も無理せずに。」
福島原発の現地で支えている作業員の方は
ほとんどが双葉や浪江、原町、富岡に住んでいた方なんだと聞かされました。
東電の下請け、孫請けの会社の方だそうです。
自分の家が津波で流されているのに、今は見えない恐怖と戦っている。
自衛隊や消防庁の方。警察の方。そのご家族、ご友人…。
ありきたりの言葉ですが、ただただ、感謝せずにはいられません。
我が家は陸上自衛隊の郡山駐屯地のすぐ近くです。
1日中、自衛隊のヘリコプターが家の上を行ったりきたりしています。
陸上自衛隊に勤務する友人のパパは、
震災後、一度も家族に会わずに被災地で救援活動にあたっていると言っていました。
でも「それがパパの任務だから」と言って、彼女は泣いてはいませんでした。
まだ3歳の娘ちゃんと一緒に、パパの任務が終わるのを待っています。
今日、子どもたちに、
「牛乳を搾ってるおじちゃんや、野菜を作っているおばちゃんたちに
いつもありがとう、ごちそうさまってお手紙書いてくれないかな?」
そう娘たちに言いました。
「なんで?」と上娘と下娘。
「今、原発の事故があって、福島の牛乳やお野菜が売れなくなっているから
ママ、おじちゃんやおばちゃんを元気にしてあげたいの。」
4歳の下娘が、「どうして売れないの?だったらママが買ってあげたらいいじゃん。」
「原発って爆発するからなの?」と言う。
なんて説明したらいいかわからなくって、娘たちに今自分が感じている恐怖と
同じ思いをさせたらいけないと咄嗟に思って、
「国が、売っちゃダメって決めちゃったんだって。牛乳も牛さんから搾ったら
捨てなくちゃいけないんだよ。おじちゃんたち搾っても売れないからお金にできないの。」
それだけ伝えました。
子どもたちは無邪気に、「ぽぽぽぽ~ん♪」と歌っている。
避難所へ行けば、すぐにいろんな子と友達になって、
いろんなものを遊び道具にして遊んでいます。
この子たちに、私はどれだけのパワーをもらったことか。
私は津波で家を流されたわけでもなく、
ライフラインが使えず困っているわけでもありません。
大切な家族を失ったわけでもなく、
避難所でなく、自宅で過ごすことができています。
被災地ではあるけれど、本当に深刻な場所と比べれば
被害は少ない。
風評被害や出荷停止で大打撃を受けている、生産者さんでもありません。
甘いといえば、甘いのかもしれない。
でも、こういう生活をしています。
おそらく、ここにいる友人たちはみんな、
不安を抱えながらも笑おうと必死に日々過ごしている。
他の方が大変ならば、自分たちが支えようと同じ思いを抱えて。
地元ふくしまのために、みんな今できることをやろうとしてる。
今日はエイプリルフール。
誰かのツィートにあったけれど、
敢えて嘘をつかれているのなら、今までのことが全て嘘だったらいいのにとおもう。
でも、やっぱり、前を向かなくちゃ。
「ありがとうふくしまプロジェクト」
子どもたちのおいしいの笑顔と、「いつもおいしいごはんをありがとう」
そんなお手紙・メッセージを募集します。
こどもたちがおひゃくしょうさんに宛てたお手紙、
小さい子供がいるママから「今は不安だけど、出荷されたらきっと買います!」という
メッセージなど、絵でも、手形でも、なんでもOK!
県内の方はもちろん、他県にお住いの方でも「福島に友人や親戚がいる」
「実家が福島」など、応援メッセージも募集いたします。
詳細はこちら→☆
今日も遊びに来てくださってありがとうございます
↓↓↓↓↓↓
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
そしてたくさんの応援RT、ありがとうございました。
会津の工房鈴蘭さん、ブログでのご紹介、ありがとうございました。
やれるひとが、やれることを、やれるだけ。
これをコンセプトに、頑張ろうと思っています!
↓↓↓↓↓↓
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
そしてたくさんの応援RT、ありがとうございました。
会津の工房鈴蘭さん、ブログでのご紹介、ありがとうございました。
やれるひとが、やれることを、やれるだけ。
これをコンセプトに、頑張ろうと思っています!
2011年04月01日 Posted bymikttymama at 15:19 │Comments(5) │みきてぃんちの毎日☆
この記事へのコメント
私もさ、同じ思いだよ。
ほんとは辛くて苦しい。
3姫たちを外遊びさせてるけど、もし将来何かあったら、この時を悔やむと思う。
あんとき私が外遊びさせなければって。。
どうしてあげることが一番いいのかも分からないまま、ただ頑張ってる。
未来ある子供達が健康でいられますようにって、ほんとに願ってる。
母ちゃんは強くなるよね。。
ほんとは辛くて苦しい。
3姫たちを外遊びさせてるけど、もし将来何かあったら、この時を悔やむと思う。
あんとき私が外遊びさせなければって。。
どうしてあげることが一番いいのかも分からないまま、ただ頑張ってる。
未来ある子供達が健康でいられますようにって、ほんとに願ってる。
母ちゃんは強くなるよね。。
Posted by タケル at 2011年04月01日 17:58
コメントありがとう。
同じ3姉妹を抱えるタケルさん。
母としての責任が、強くさせているのか。
それとも空元気なのか。
でも、私たち母親も最善を尽くしていると思う。
だから、後悔しないようにしよう。一緒に。
同じ3姉妹を抱えるタケルさん。
母としての責任が、強くさせているのか。
それとも空元気なのか。
でも、私たち母親も最善を尽くしていると思う。
だから、後悔しないようにしよう。一緒に。
Posted by mikttymama at 2011年04月01日 18:05
できる限りの予防して後からちょっとやりすぎだったと思える位でもいいのでは!っていうかそういう日が早く来て欲しい。
非難中も辛い目にあったのね…しかも医療従事者でさえその有様では悲しくなるね。
そんな時に私も厳しいコメントしてしまいごめんなさい。
不安要素はあげたらキリないし、その感情は負の連鎖しかうみません。
今できることはミキティママが掲げていることだと思います!
今はインフルエンザでダウン中なので、復活したら活動に参加させて下さい!
あと、参考になるかわかりませんが…
うちの子供達♂♀ベビーマッサージで夜泣や赤ちゃん反りが無くなりました!
ただ撫でているだけなんだけど、手当てって言葉があるように不思議な力が働くのかも☆
頑張り過ぎてるミキティママの心にも効くはずです♪
非難中も辛い目にあったのね…しかも医療従事者でさえその有様では悲しくなるね。
そんな時に私も厳しいコメントしてしまいごめんなさい。
不安要素はあげたらキリないし、その感情は負の連鎖しかうみません。
今できることはミキティママが掲げていることだと思います!
今はインフルエンザでダウン中なので、復活したら活動に参加させて下さい!
あと、参考になるかわかりませんが…
うちの子供達♂♀ベビーマッサージで夜泣や赤ちゃん反りが無くなりました!
ただ撫でているだけなんだけど、手当てって言葉があるように不思議な力が働くのかも☆
頑張り過ぎてるミキティママの心にも効くはずです♪
Posted by ニジママ at 2011年04月02日 06:49
インフルエンザ!大丈夫ですか?
ニジママさんもきっと、疲れがたまっていたのでしょうね。
そんな大変な中、こちらを見て頂き、そしてコメントまでくださって、しかも私のことまで気遣ってくださって本当にありがとうございます。
今まで、なるべくネガティブな言葉は活字にしないように心掛けてきました。でも、きちんと現実をお伝えしなければ、他県や海外の方に事の深刻さをわかっていただけないのではと思い、敢えて記事にしました。
子どもたちに、手当て。してあげようと思います。
ありがとう。
ニジママさんもきっと、疲れがたまっていたのでしょうね。
そんな大変な中、こちらを見て頂き、そしてコメントまでくださって、しかも私のことまで気遣ってくださって本当にありがとうございます。
今まで、なるべくネガティブな言葉は活字にしないように心掛けてきました。でも、きちんと現実をお伝えしなければ、他県や海外の方に事の深刻さをわかっていただけないのではと思い、敢えて記事にしました。
子どもたちに、手当て。してあげようと思います。
ありがとう。
Posted by mikttymama at 2011年04月02日 11:39
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